4240号は戦後の要務飛行で白塗り黒十字標記で使用されていたと、航空フアンの記事と竜ケ崎で展示時の情報・写真で白塗り塗装が確認できますので推測できます。

上写真の機銃弾道覆にも白塗装が僅かですが残存していて現物での白塗装を裏付けています。

(戦後ラバウルで全て白塗り機体の列線写真が存在し、52型が複数確認できますのでその中の1機だったのかもしれません?。その後要務飛行が停止された後か?白塗り機体群はオーストラリア軍に接収されています。その時の調査報告書がオーストラリアに在り、機体番号は後部胴体左の標記を記録したらしく他の機体からの流用による前部・後部胴体の番号違いを表していると推測できています。)


             リベット外周の窪みに残る濃緑と白                        内部にも赤茶>灰色>濃緑>白と確認できる。


 その後どの様な経緯を辿ったか不明ですが、ラバウルでコーラン氏に回収され保管されていました。

1970年代になりライト航空社長の多大なる尽力によりコーラン氏からの買取交渉が成立して日本に里帰りし、竜ケ崎飛行場で購入者が見つかるまで展示されていました。


   

                                         竜ケ崎での展示時の写真


その展示時、A氏(私に胴体後端部を譲って頂いた方)によって購入され、後部胴体等を複製し購入した前部胴体に付けて一時復元(オリジナル部は塗装と補強等最小限)されましたが、A氏のその後の意向によって河口湖自動車博物館館長の元に譲られ、本家三菱と共同で本格的な復元後一時河口湖飛行館に展示され、その後館長の好意によって靖国神社に献納され現在に至るようです。 


 4240号は紆余曲折を経た機体ですが、幸い思い入れのある方々の並々ならぬ努力で保存され続け、現在靖国神社で立派な姿を多くの方々に伝える事が出来る訳ですから感謝の念に堪えません。


                                    現在、靖国神社での4240号の勇姿


当時ライト航空で販売されていた4240号の機銃発射口



■ライト航空によってラバウルより里帰りした後部胴体末端部、今となっては判らないが三菱製と判明しているので4240号の後部胴体だったのかもしれません。







■ 浜松基地資料館に保管されているテールコーンも同じ回収物です、回収時は白塗装で現在は剥がされています。この機体についていた可能性もあります。

この機体主要部は現在原田氏が靖国に献納され落ち着いています、説明板にも一部書かれて要る通り4241・4240の部品が使用されています。
しかし機体大元の刻印で在る第一隔壁フレームは4241隔壁防火壁は4240となっており、本来フレーム番号が主となる訳ですが主銘板が存在しない今となっては特定不可能な点であるとも言えます。