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フロント2番気筒のものです。
代用材になってからの物と思われだいぶ省略されています。 |
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零戦のタイヤ等大戦初期に強度問題が在った事は書籍等でも確認できると思います。
残存する現物で対処前・後の比較をしてみました。(初・中・後期の区別は私が勝手に付けた物です)
初期のホイールは残念ながら持っていませんが、写真の中期ホイルと少しだけ違うことを確認しています。
違いはホイルカバー留ねじ穴部(丸形の3ヵ所)が無く、ねじ穴が付いたクリップタイプの部品が付きます。
細かい所ではドラムブレーキのドラム部の取り付け部がリベットに合わせて波型になっていて、写真の中期タイプより数十グラム軽いはずです。(岡本製との比較、渡邊製は中期でも初期と重量はほぼ変わらず)
重量は初期が(以下重量全て約)12.6kg、中期が14.6kg、後期が20.2kgとなります。(ホイル・チューブ・タイヤのみの重量)
タイヤとしては初期から比べると中期で2kg増、後期で4.4kg増と、強度が増している事がうかがえます。(比較した物は17年8月製・18年5月製・後期は日付無し)
以上の事で推測できる事は
1、タイヤ強度不足による補強での重量増
2、ビートストッパーが初期中期は片側2個に対して後期は両面24個(着陸時タイヤとホイルのズレによりチューブが裂け、一気に空気が抜ける重大なパンクとなるのを防ぐ為)
3、ホイル分割方式により整備製の向上
となります。上記タイヤは全てブリジストン製になりますので、資料が残っていない物か?気になる所です。
初期の零戦は主輪だけでも13.2kgも軽かった事が判り、主銘板の総重量の変化の一端が判明したことにも意義が在りました。(その他、外板増圧・主桁増圧等々在る訳ですが・・・) |
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初期型のタイヤは形状が違います、当時の写真を見ても確認できる例が何点か在ります。
左初期・右後期(中期もほぼ同じ) |
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ホイルだけでも初期は軽々と持てますが後期は両手でないと無理です。
左後期・右初期(ホイルは中期)
ビートストッパーの位置関係が良く判ると思います。 |
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上17年4月製の機体全備重量21型
下18年12月52型 |
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各型式の仕様によって様々な変化が見られる部分です。
これは中島の中期を再現したものの製作過程です。 |
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自動消火装置の発信器(センサー)と、消化の為炭酸ガスを送る配管です。
零戦と言えば防御を犠牲にしてまで軽くしたと良く言われます。
しかし防弾タンクこそは計画のみで終わってしまいましたが、中期以降からはこの自動消火装置が取り付けられました。
1回のみですが、消火能力は高かったと資料にも在るようです。
追記:当時の零戦搭乗員の証言で「主翼を撃たれ発火したが自動消火装置により無事帰還した機体を良く覚えている
その部分が白くなっており発火後短時間で消火されたようだ」と話されていました。
白くなっていたとの証言は消火後比較的早くで降りてきた機体だからだと思われ、炭酸ガスが噴出されると急冷の為に
白くなるからだと推測しています。
証言者は土方敏夫大尉で「海軍予備学生零戦空戦記-ある十三期予備学生の太平洋戦争」を執筆された方です。 |
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茶色がかっていますが、元の所有者が腐蝕防止処置の為、短期で黄ばんでしまうクリヤを塗った為です。
日の丸赤は素晴らしく良い程度で残っています。
主桁と合わせると、僅かな段差も許さない設計者の心意気が明瞭に判ります。 |
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12.7ミリに合致する弾痕が確認でき、上方やや前より撃たれています。
この機体はソロモン諸島に放置された機体ですので、この弾痕が致命傷となって放棄されたのかもしれません。 |
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最後期の物だと思われます。
ゴムはまだ硬化していなくてその点は良い程度です。
3枚目>腐食処置の為分解してみました、農家で使用されていた物がお役御免になって空気が抜けてしまい内部に水分が入る状態が長かったらしく、内部腐食で分解に非常に手間取りました。
チューブはオリジナルと思われ信じられない良い状態です(マークがありました)、2箇所パンク修理したらOKでした^^ |
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前部胴体の名板だと思います。イギリス帝国博物館の物と番号等一致しますのでそう判断しました。
私の予想では名板文字の1部が塗りつぶされていますから2式水戦名板の余った物を零戦に流用した物だと思います。
イギリスの写真も比較で載せます(名称が変更前の名板を流用しているのが分かると思います) |
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最初3枚は上部で機体を釣り上げる為の前方釣上部10ミリボルト穴が見えます。(零戦秘録P217参照)
最後の3枚は下部の物です。 |
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中島21型の物です。
軽量化を目指す為なるべく表面に近くする苦心が良く判ります。
右側が中央結合部の切れ目で左主翼の物です。 |
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左主翼上面後桁付近にあるコックピット乗降時の為の滑り止め板です。
何と!流石零戦!滑り止めの突起一つ一つが流線型をしてるではないですか!
残念な事によっぽどしっかり打ち込まないと表面からは流線型が現れ辛く楕円形の突起にしか見えません(^^;)
効果のほどは?ですが、こんな細かい所まで気を配るのは零戦だからではないからでしょうか・・・・私はこの気質がとても大好きです。 |
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主翼上面前桁13・12番リブの物です。腐食していますが放置されていた物にしては良く原型をとどめてます。
内側にL字の結合金具2枚で連結されボルトで結合されています。
ボルトの緩み止めの為のポンチ跡・主翼外板に接している四隅の4本のボルトは外板交換を可能にする為ナットを2つ使用した緩み止めをされており赤ペイントで塗られている等確認出来ると思います。
青竹色は緑色でなく青色だったと私は予想するので、その点も一例で参考になればと思います。(密着性が高い所で青色が現れる為) |
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C/Gステンシル
(所有者のSDCR我1さんの許可をえて撮影・掲載させていただいてます。撮影日時平成15年7月21日) |
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今まではKOGA Reisen [D1-108] の写真が有名ですね。
これは三菱52型の物ですが胴体左側面1番隔壁から第2隔壁の間に書かれている物で、前からマーク(地図の灯台マークみたいな物) 自×重 マーク 前桁(マークの下に縦書き)となっています。
「自重」は自重のみのときの重心位置、「重」は自重に搭載量を加えた総重量での重心位置を表しているそうです。
総)(重の総が弾痕パッチで隠れてしまっています、この機体は他にも様々な形の弾痕パッチが多々あり歴戦の機体である事が判りました。
総)(重 破片は米軍兵士の戦利品で回収された物でニューギニア島ラエ基地と思われます。 |
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手前が機首側で7,7ミリ前方取付受け金具と装弾ガイドが確認できます。
外板上辺の3つの穴はパネル取付用の穴です。
7、7ミリ受け金具下にあるクリアケースは保持台にしているだけです。(クリアケース中身は落下傘装着帯の離脱器で左陸軍、右海軍) |
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左側の曲げ部分切り欠きは腐食の為でなく發條(バネ)が通る為の切り欠きです。
52型の部材と思われますが後期の機体は流石の零戦でも乱雑な加工がされていました。
この部材は三菱ですが中島でも同じ乱雑な加工が見られます、パイプが通る穴なども金切りばさみ?で適当に開けたと思われる穴が各所に見られます。 |
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これと同じ形状の縦通材は2種類あり前部胴体5〜7隔壁間と後部胴体上面4本と下面2本は15×15×6×0,8でそれ以外は15×15×5×0,6です。
しかし零戦は細かい!これも軽量化の為でしょうね・・・凄い! |
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主翼フィレット上ラインを止める為に木ネジが使用されていて、木ネジを受ける為に縦通材内部に木材が入っています。 |
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52型で使用された住友ハミルトン型恒速式3Dプロペラ根元部分でヤップ島からの回収品です。
真鍮部分はピッチ微調整用の物で47・46・45の刻印が在りそこを基準に調整していたようです。 |
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右下側が頂点で下に残っている外板に特徴在る軽め穴とRが見られます。 |
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結合板は零戦秘録P65
補強材は(大図解)零式艦上戦闘機(グリーンアロー出版)P55・零式艦上戦闘機機図面集P10に載っています。
大図解と図面集の略図には135号機下川大尉空中分解事故前の図の為か結合板が省略され補強材と小骨(リブ)との結合が見られませんが、現物は零戦秘録P65に載っているように全部「結合板」にて結合がされています。(燃料タンク部分のリブと一部例外は除く)
写真4枚目の補強材には番号と意味不明な書き込みがされていた物です。 |
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零戦図面集P12
他の部材が主桁との段差面に接してリベット止めする際、段差をを緩やかにする為に入れられています。
材質はエレクトロンとなっていますが後期は非金属の代用材を使用していた所も在ります。
写真は後桁3番リブ下側部分で左側の壁板が腐食の為在りません。
写真左が機首方向になります。
写真2枚目3枚目は各種填材ですが、下の2つは左が金属・右が代用材です。
右上・中の薄い物でも三角形の断面をしており零戦の細かな細工が伺えます。 |
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