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後部胴体側面外板です。
左下の開口部はアクリルが付く構造となっています。
元々は灰色の機体に迷彩色の緑が上塗りされ白ふちも追加された事が確認できます。
そのさい塗り残しで機体番号末尾が在りますが、もう一つの塗り残しはと言うと・・・・・ |
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零戦でも在るように機体計測用のポイントが各所に在ります。
その位置の為に塗り残しをされている事が確認できます。
中央上のポンチ痕がそのポイントで見えずらいですがポンチ痕周りに1センチの円でケガキがされています。
塗り残し位置がずれていますのでかっては文字か灯台マークに似たポイント表示がステンシルされていたと思われます。 |
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零戦主翼前縁のマークです、この位置にもポンチと1センチのケガキ円の上にこのマークがステンシルされています。
零戦胴体側面等で迷彩が塗られた機体では、このポイントが塗り残されているのが当時の写真でも確認できます。 |
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見ての通り艶消し黒ですが特徴のある紺系の青が混じる艶消し黒ですから三菱機と推測できます。
これは52甲4708号ヘッドレスト部分の外板です。(開口部、ハの字がヘッドレスト、その後ろはクルシー取り付け基部)
中島52・21型でもこの部分を確認していますが第一風防内と同じく三菱機とは違う単純な艶消し黒を確認しています。
逆に機内色で塗られたこの部分の現物は確認していません。
(しかし上斜めから撮影された複数機在る中で明るい色の機体も在り、悩ましい所ですが^^;)
この部分と風防枠内側含めて、中島と三菱の違いであるカウリング色をそれぞれ使用しているようです。
三菱と中島の色違いはカウリングとこの部分だけであり、他は基本的に規定色通りに統制されていたと私は多くの現物を見て思っています。
(その他鉄部品黒塗装は中島三菱とも同色)
追記
カウリングと風防内の三菱中島違いを上記で述べましたが、18年以前は三菱機と同色で在った可能性が出てきました。
前々から話は聞いていたのですが、書籍で発表して頂けました。
古峰文三氏に感謝申し上げます。
歴史群像シリーズ 決定版「零式艦上戦闘機」を御参考下さい。
今後この部分の18年以前の現物を見る機会が在りましたら是非裏付けを取りたいと思います。 |
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風防枠内の艶消し黒、第3風防内外板の艶消し黒としっかり確認できます。
当時の三菱機は撮影すると青(紺系の青)が浮き出る物だったと推測しています。 |
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脚庫内部です、青竹色で在る事が確認できます。
鉄部品は黒塗装です。 |
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中島は脚カバー内側が青竹だとすると・・・イギリス帝国博物館の所蔵機は灰色なので?となってしまいます。
しかし詳しい方が写真を撮ると情報が見えてきます^^しかしはっきりは読めません・・・
私が今まで見てきた脚カバーステンシルは・・・
中島 ○○○○号
 ̄ ̄ ̄ ̄
右
三菱○○○○号
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
右
となりますがこれは?です。
写真は 中島 196 号 機なのに三菱のくさかんむりが見えませんか?^^;;;
 ̄ ̄
三菱 第○○○○号と書いてあると予想します。
三菱機からの流用で在れば納得です^^ |
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脚庫主翼前縁残骸です
これは軽め穴を羽布で塞ぎ灰色で上塗りされていた痕跡が明確に残る残骸です。
この機体は艦載機だったのでしょうか?等々思いを巡らせてしまいます・・・ |
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残る部品で複数確認したところ中島は青竹、三菱は下面色と傾向が見られました。
その他細部部品でも色違いは勿論、形状違いも確認でき小部品一つで両社の違いが判別できます。
一例でタイヤが当たる木部で中島は無垢、三菱は合板と言う具合です^^;
脚柱は黒ですがトルクリンクは三菱は灰色です、中島は今一確認できていませんが銀塗装かなと予想してしまいます。(三菱ならば現物が在るのですが写真が見つかりませんでした^^;)
追記
中島製トルクリンクを手に入れました、灰色でした。(しかし一例でしか過ぎないので銀も在ったのかも知れせん?) |
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私はプラモが作れないのでBBI完成品では1点だけ手を加えています。
判りますか?^^;
答えは一番下で・・・・・ |
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裏はつや消し黒と通説が在るようですが、程度の良いものを何本か見てきていますが皆茶色でした。
その中でもこのペラが一番程度の良い状態です。 |
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キー61と刻印された主輪から外したカバー裏面です。
灰藍色のものは未使用でした。
左の灰藍色のカバー表は灰藍色の上から灰色を塗っています。
今まではっきり確認できるものを6個ほど見てきていますがパターンは半々ですね。 |
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主翼下面にある弾倉交換用のパネルです。
52甲からはベルト給弾方式に変更されているので、弾倉パネルは廃止され主翼下面外板の一部となっている。
このページで取り上げたのは退色程度が同じだと、中島・三菱・型式・製造時期等の違いがあれど同じ色合いの範疇にしか見えません。(21は上塗りは残ってませんが同一機体外板が他に在りますので)
そこで私は新造時ある程度色調はしっかり決められていて、その後の使用状況・保管環境・塗質によって変色していったと考えるのが妥当だと思うのですが・・・・・・どうでしょうね? |
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初期・中期まではマイナス皿ネジ止め構造で在ったが、後期は幅広で簡易なファスナー方式に変更されている。
中間は三菱4397号のものであるが皿ネジ方式からファスナー方式に応急改造されたものである、よって19年初めごろ部隊側での要求により応急改造が施されその後の機体に反映されたものだと推測できる。
(追記:4397と書かれた物は三菱4708号機にファスナー方式として流用されていたことが判明)
色は左の中島1493号の物しか残っていないが、先の弾倉パネルとおおむね同じ塗色に見える。 |
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ラバウルから飛び立った機体で近辺に墜落した22型といわれる左主翼上面外板です。
右側が左翼22番リブラインです。
白ふちは黒に近い濃緑色で塗りつぶされていたもので、日の丸と迷彩塗料の下には灰色が各所に見えています。 |
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現物でみると左上辺りは緑が強いです。
主燃料タンク下のパネルです。 |
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さてなんでしょうね?
刻印は鶴マーク?(日本アルミ) |
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これもラバウルに所属していた機体だと思われます。
戦後回収後にクリヤ塗料を塗って保存処置されたのが確認でき、クリヤ塗料がかなり黄ばんできています。
クリヤの下は程度の良い灰色です。 |
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右翼後端20番リブ位置
上面日の丸は白ふちの跡が残っています。
補助翼と接する部分は三菱52型同じく下面色です。 |
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半円の穴が補助翼操作ロッドが通る穴です。
内部は青竹色外部は青竹の上に機体下面色で塗られています。
錆びているマイナスネジは木製補強材を留める木ネジです。 |
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程度の良い青から緑に変色していくと、多くの残骸を分解段階で見てきて感じています。 |
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青竹色は現在手に入るもので青竹インキが在りましたので塗ってみました、程度の良い青と退色した緑が表現できました。(塗料成分は全く違いますが・・)
最古の青竹はニセコ零主翼前縁内部で、放置されていた割には程度が非常に良いです。
下は中島52型(19年5月製造)主桁中央部結合材で、この面はボルトにて強固に密着していた面です。
青から緑に退色するよい例だと考えます。 |
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程度は見ての通りですが結合材で圧着していた影響で程度の良い青竹色が見られます。
青竹色の下にはSDCのスタンプも確認できます。
青竹色の下は主桁材を保護するためアルマイト加工(灰色)されています。 |
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程度の良い青竹です、右上の空間(削りカスが挟まっていたと思われます)が在った所だけが退色していて緑に変わりつつあります。 |
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97戦は未使用で保管されていたもの、羽布は屠龍4065と零戦21型646号
646の羽布は塗装過程の銀が断面に見えています。 |
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写真はフラッシュ有・無では色合いがかなり変わることを示してみました。
フラッシュ撮影では、復元機の風防枠・カウリングを撮影すると青が浮き出て強調される事も・・・ |
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屠龍 空気取入スリット部材
同一部材でも保存状況により変色過程にここまで差が出ます。 |
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一見左が良い状態の元の色に見えますがチョーキングしています、右は褐色に変色していますが塗質は良い状態です。
私の推測では・・・元の色>褐色がかる>チョーキングにより元の色が白っぽくなる状態>剥離 |
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機内色も褐色がかった後、チョーキングして剥離していきます。 |
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計器板をタミヤXF-71で塗って見ました。
どうでしょう?赤枠内暴露部分チョーキング後の機内色に見えませんか?
(赤枠内比較部品は着艦ハンドル巻上装置ワイヤー滑車基部、上部暴露部分がチョーキング) |
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胴体と主翼との結合部で主翼外板です。
良い色の機内色と退色し褐色がかった機内色が混在しています。
胴体との結合前に機内色が塗られていることが判別できます。 |
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暴露部分と部材で圧着されていた良い面との、塗装劣化が良くわかると思います。
上部のラインから上が暴露部分で白っぽく退色しています。 |
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着艦フック巻上ハンドルです。
部品としては態度が悪いですが、色は良い状態で機内色青竹色共に良い状態です。
前写真の部品が滑車基部に使用されています。 |
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灰色の上に迷彩塗料緑を塗っています。
左側が機首側になり、合わせの赤ラインが入っています。 |
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マグネシウム(エレクトロン)部材とジュラ材との併用で排出口が組まれています。
腐食に弱く通常部材より一工程多く銀塗装がされています、銀色も退色すると褐色がかり見た目で金色ぽくに見えます。
他にマグネシウム材は主輪・尾脚柱に限らず脚カバー・フットバー基部・ワイヤーガイド等々多く使用されています。
しかし板材部は元々ジュラ材の部分を代用材として変更した向きが伺え、ある一定以降に変更が在ったと思われます。(脚カバー等) |
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先ほどの部材面と組まれた隣の通常部材(左側)です。
通常のSDCH材ですので塗装は青竹>機内色仕上げです。(チョーキング状態) |
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右翼前縁開口部よりつながるダクトです。
銀塗装(柔らかい部材故腐食対策?燃料タンクと同じ素材と思われます)で塗られています、接続口は程度の良い灰色です。
銀塗装の塗膜表面が褐色に退色し始めており、一見金色に見えます。 |
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ジュラルミン板には識別のためのスタンプが押してあります。
元は紫色ですが暴露部分等に在ると黒に変色する例を確認しています。 |
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22型水平尾翼下面外板
チョーキングし始めですが取り除くと良い色が出てきます。 |
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左水平尾翼下面2番リブライン中央付近の外板です。
チョーキングを取り払うとこのような色になります。 |
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8番9番リブ間主翼前縁外板です。
識別帯塗り幅、主脚作動表示板の開口部等違いが判ります。 |
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主翼下面エ式機銃後部点検パネル
8箇所のマイナスネジ止めだった物を現地改修?で変更しています。
これ以降の物に軽易に開閉可能なヅヅスファスナー方式に変更されたと考えます。 |
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計器板ですが海没品(左)は機内色がこの様に変色する一例です。
複数確認していますがこの傾向です。しかし青竹は変色しない。 |
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左が琵琶湖から上がったオリジナルの主翼下面外板です、通称「飴色」ぽく褐色がかっていますが良く見ると退色による褐色の下に通常の塗装が見え灰色の範疇と理解できます。
右は最初の復元時の複製外板です、左側の後塗り塗装を剥がした面の塗装が見事「飴色」ぽくオリジナル品と合致しています。
当時の方が此処まで拘ったのならば凄い事ですね。
しかし当時通常の灰色で塗っていて退色したのならばこれまた褐色がかる良い例となります。
どうでしょう?
私は当時は知りませんので復元直後に見た方、ご存知でしたら教えていただければ幸いです。
なお復製外板右側に上塗りされている塗装は何回か塗りなおした時の塗装です。
追記
公開直後見た複数の方が、褐色系では無かったと意見を頂いています。 |
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ラエ飛行場から当時米兵がお土産に切り取った外板で、32型より回収と聞いています。
塗装の程度も最良で機内色、青竹色(構造材で隠れていた部分)、通称「飴色」、重心マークの黒塗装と判ります。 |
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通称飴色と呼ばれるものは中・後半の機体には褐色がかっていても、表面塗装の上層下層の状態から当てはまらないことが簡単に判別できますが、初期の21、32型の塗装では表面上下層まで褐色であり悩ましい所です。
そこで初期塗料の質が後半とは違い褐色に変色する度合いが高いのであれば納得がいくと思われます。?
いわゆるこれが飴色と判別された所以かもしれません?どうでしょう?
しかしこの時期の全てが飴色かと言えばニセコの32型を見れば判別つくとおり、外板・羽布ともに飴色さは見られません。(非常に程度の良い1942年の回収時から屋内保管で在った中島646号羽布も同じ) |
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通常よりかなり濃くなっていますので退色気味かもしれません? |
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かなり薄く塗装されているので青色が薄いです。
(透明塗料の特性上厚みにより青の濃さがかなり変わります。) |
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現在は5分割されていて中央は靖国に展示されています。
残念ながら左上が在りません、お持ちの方は連絡頂ければ幸いです。
エンジン面が写真左で全面青竹色だった物が風化により構造材内側だけ残して剥離した状態です、内側は機内色・青竹共によく残っていますが機内色の表面が褐色がかり変色の強い状態です、右上は機体下面色で塗られていると見間違えてしまうほどの良い灰色ですが、機内色の退色過程の悪戯故です。(チョーキング部が白くなるため)
夢にまで見た左上が「名無しさん」からのご厚意により補完されました!!、まさか御連絡頂いた上に「揃って活用して頂けるのならば差し上げます」とまで仰っていただけ感謝の念に堪えません。
名無しさま、お陰さまで夢が叶いました、ありがとうございました。 |
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4240号機と同じく、機内色が程度の良い機体下面色(灰色)に見間違える程に変色している部分と、褐色がかって通称「飴色塗装」と言ってしまう方が出るほどの部分が混在しています。
青竹色が見えている部分が第一隔壁部材との組み合わせ面です。 |
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エンジン側面は青竹色のみと推測できます、操縦席側面は青竹色の上に機内色です。(他の機体現物でも同じパターンしか見ていません)
三菱の防火壁は第一隔壁と共に機体番号が刻印されていますが、中島は第一隔壁・防火壁共刻印が在りません。中島は何処に刻印されていたのか気になるところです。
塗色は私が見るに中島・三菱共同じだと思っています。(統一されていたと考えます) |
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脚庫内部部材です。
三菱は脚庫内部が灰色で塗られていたことが判る部材です、中島では私が見てきた中で青竹しか確認できませんが軽め穴を羽布で塞いだ艦載機?等の機体は中島でも脚庫内部が灰色で塗られていたと予想しています。 |
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中島は裏補強材をスポット溶接で仕上げていますが、三菱は極小のリベットで組上げています。
三菱の技術は凄いと思いますが生産性で考えればやはり中島の合理性には適わないと感じます。
緑は褐色系に退色し辛いと思われます、三菱の赤茶色は表面色がチョーキングにより落ち下地塗料が現れています。 |
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灰色で塗装されていた痕跡があります、これは後塗りで羽布で穴を塞いだ後機体下面色で上塗りした例です。
空母使用機でしょうか?(回収地域は空母作戦用機の緊急着陸場所で在ったと聞いています) |
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海中からの引き上げ品でオリジナル塗色です。
先端から5p開いて5p幅と規格どおり?しっかり塗られています。 |
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機体側の水平尾翼をテーパーボルトで留める部材です、機首側が10ミリ機尾側が12ミリの傾斜ボルトをで結合していました。A6M7からは2ミリ径を増やしこの部材も鉄に変更されています。
バラレ等近辺から回収物です。
これらの機体は戦後初の飛行をした零戦に使用された物です。
色の変色過程が様々ですが回収時期が早い為、塗装も良い状態です。 |
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零戦主翼にはジャッキアップポイント(取説*前桁下面ニ装備シアル滑止メ孔)が前桁に3点開いています。
流石零戦の拘り故か?穴が主桁と平滑になるようバネ仕掛けの装置が主桁内側に付いています。
下の写真は主桁断面(非オリジナル)に部品を置いています(実際の取り付け方向は90度回し)
空気抵抗の影響力云々は別にして、此処まで拘る当時の設計者の意気込みは凄いですし私は同じ日本人として共感できます。 |
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つや消し黒で塗られています、今はなき塗装の神様(中沖氏)が私に教えてくれた「青が混ざった黒で戦前の物は一目で判る」と仰っていた事を思い出します。
(32型もしくは22型の部品と思われる) |
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かなりグニャグニャに変形していた物を、ヒートして修正したものです。 |
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2式水戦は防食の為に塗装工程が一工程多いです。
青竹>赤茶>銀>機内色
計器板は複製品無塗装です。 |
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風化の過程で塗膜各層が分かれ、非常に良い資料となっています。 |
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テーパーボルトを使用していました。(スリーブが抜けています)
素材は超々ジュラルミンと思います、アルマイト加工の灰色>青竹色>赤褐色>灰色と塗膜が良く判ります。
三菱の機体だと一目でわかる痕跡が在りますが判りますでしょうか^^; |
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ジュラルミン部 アルマイト>赤褐色>灰色
尾脚本体・尾輪 赤褐色>銀>灰色
真鍮部品 赤褐色>灰色
鉄部品 赤褐色>黒 |
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未使用だったものです。
分解整備していると、元は灰色だった事が判り褐色に退色後また灰色に戻る過程が推測できます。 |
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左が九七重爆・右が白菊の外板で裏面は機内色となります。
細かい事言わなければ陸海軍共、機内色も統制されていた事が予測できます。
白菊は伊勢湾から、九七は南アルプスと思われます。 |
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退色していますが細かい事言わなければ零戦と同じような機内色で在った事が判ります。
下部計器板裏打ち補強材、後席取っ手周りでも確認していますので、前後席ともこの色で塗られていたと判断してよいと思います。 |
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現物では3機程確認しているのですが公開できる物が無いので模型で示します。
12番隔壁の「ココノセル」ステンシル部分がメインですが、尾部整備のみの簡易な整備では16番隔壁を使用します。
黄色の表記は10×10センチです。
さあ模型の作例で雑誌に載るのは何時になりますかね?^^;
当時の写真では見え辛く、軽易に確認できる当時の写真では海路輸送の為の梱包状態物が最良です。
戦う零戦P141等 |
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