いろいろ・・・・


※コメントは多くの実機・残骸を見てきただけの、私の素人意見ですから鵜呑みにしないよう願います。

*参考にされる方は色見本を添えた写真のみを、色見本にて修正しご判断ください。

○色見本  日本塗料工業会 2005年C版 塗料用標準色(ポケット版)


三菱4240号(靖国展示機体オリジナル部品)
同一機体での部位ごとによる様々な変色過程資料

                                                                                   2014.4.1記
 色の件は塗色の基本となる透明塗料が早い段階で茶褐色系に変色することが塗料成分で解っています。(特に灰色で初期の機体は顕著に)
塗料成分も含めた変更が大東亜戦争中に行われ、成分が変わった事で中期以降は褐色系に変色しずらくなったことが現物を見てもうかがえます。...
この件は膨大な一次・二次資料等を検証してきた日本機塗装の研究家でもある片渕 須直氏(アニメ監督としても高名です)からの情報ですし、他の一次資料等(納入塗料成分)を調べている方の意見も同じです。
私が見てきた現物機体群と所持している現物の変色過程を考えると、この一時資料を研究されている方の意見はかなり合致するため私としては違和感なく受け入れられる事でした。

飴色系の復元機の考証は復元の元となった機体主要部に多く残る、現状の塗色を基本として採用している事を復元現場での元となった現物をみて感じ取っています。
また初期の機体の灰色は塗装厚の全層茶褐色になる為、固有機体各部現存現物が少ない現状としては私としては全く推測が出来辛い事も痛感しています。(羽布は灰色系)
(※現物に残る実物色を採用している点は合理的でその方向性は大変素晴らしい事で共感しています、だから此処で書いていることはその方向性での否定はではありません。ただ見て受け取る側が過大に飴色が元の色で在ったと一例だけを見て当時の色として感じてしまう方向性が私としては残念な訳です。勿論私は早期の退色故のいわゆる飴色系の機体も在ったのではと考えています。)
私は同一機体での部位ごとの判断と他機現物まで含め、なおかつ当時の塗料成分を詳しい方から聞くと、褐色系の色はやはり変色と考えることが妥当と感じ取っています。
それは機体外板でのある程度良い部分の酸化膜を剥がして検証した結果と、同一機体での外部色が内部に吹き込んだ部分もしくは、部材組み付け前に機体外部色を塗った酸化膜が無い部分を比較しての意見でもあります。
一例で中期以降の残る機体でも飴色系の塗色が多くみられますが、先の機体内部の外部色部材を探究すると、答えが見えてくるのでは?と多くの機体の各部品を見てきて感じています。
その一例が添付した三菱4240号の現物写真です。
脚庫内部材等は紫外線の影響を受けずらいので最良の資料な訳で、同一機体でこれだけの違いが明瞭に解ります。


 下添付写真の褐色が一番強い部分は砲弾片による破損部を当時パッチ修理した部分です、酸化傾向が少ない分最初の段階の透明成分の変色が強く残った部分と考えています。
他の部材も同一塗装面で製造時に一部を部材で圧着された場所と暴露面での違い、脚庫内部等で紫外線の影響が少ない部材、更に入り組んだ内部に吹き込んだ外部塗料で最良の状態で残ったと思われる部材等、同一機体の現物を検証していくと各部の状態による退色度合が解り元の色に一番近いと思われる部分を推定できる訳です。

 私ではだいぶ不足なので、片渕 須直氏に先ほど再度確認させて頂き回答を得ています。
「灰色に関して言えば灰色顔料成分として「白」「黒」しか入っていない事が当時の資料から解り、茶褐色はじめ灰緑等も黄変故のいたずらと推測できる。」
「したがって、それ以外の色調を帯びるのは、塗膜を作る主成分であるベンジルセルロースが黄変しやすい傾向を持っていたからで、これは当時の塗料の品質調査資料を見てもほぼ間違いなく、灰色以外の色もほとんどすべてが黄変します。」
「青竹色が青から緑まで何種類も存在しているように見えるのも、この同じ結果です。」
と回答を得ました。
私が下で公開している燃料タンク等の銀色また機内色の淡緑色など見て頂けるとこの傾向が顕著に現れている事が解ります、なお青竹色は上記事項以外にも塗膜の厚さでかなりの色違いが出ることを確認しています。


 此処まで書きましたが私は塗料に関して素人ですので結論は解りません(^_^;)
だからこそ私としては機体各部状態を考慮し参考(科学分析も必須)にした現物と、一次資料からの塗料成分までも踏まえた多局面での検証を、
片淵氏の様な膨大な資料から有力な情報を得ている専門家等の方々が集まり検証し発表される場が、公的研究機関もしくは出版社等書籍側でも良いので実現することを望んでいます。

最後に零戦の灰色について私の個人的まとめ・・・

「顔料に白と黒しかなければそりゃ普通の灰色、ただし主成分の透明塗料が塗装後〜運用時〜現在の残骸の見え方に影響を与えている」
(勿論状態の良い色見本帳も)

「現状推定するためには透明塗料の材質変更前後・各部劣化過程・下地状況も考慮して推定結果を出さなければならない」
(化学分析した方は顔料は白と黒との結果と、人づて情報^^;、また近いうちに実績と権威ある博物館にて初期型サンプルを化学分析する情報もあるので期待大!)

結論!
私としてはやっぱりなんてことない灰色の範疇が零戦の塗色と十二分に推定できる!
(勿論「飴色」「青」「緑」 が か り た る 事もあるでしょう!その他も?)
しかし!初期の塗色は判定材料も少なく今一解りません(^^ゞ

こんなところでどうでしょう?・・・・?
(「銀」も「淡緑」も主成分が同じならば、保存状況等によって何でも黄ばむ事は下を見て頂ければ・・・)

それでは皆々様のご意見ご発表お待ちしております!(^^)!


三菱4240
所蔵品の一部です。
材質・塗質と組み付けられた部位による変色過程が様々解ります。




三菱4708号(三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所史料室展示機体)
 最近写真整理をしていて以前から公開の第3風防内外板以外にも多くの4708部品を所持していることが分かりました、そのうちの色が残ったものをアップします。
左右の褐色系は錆びたネジを外す際の熱によるものと考えています、中央部がある程度参考になる色と考えています。
このタンクパネルを外したのは先日の事ですから70年弱圧着されていたと推測できます。

三菱4708号
私がコレクションしている4708号部品一例です。





いろいろ・・・番外編
独逸機との比較参考資料
DB605との比較のアツタ部品は程度が悪い残骸からの回収品なので比較は凄く酷ですが外見比較にはなるかなと・・・
BMW801プラグはアルミガスケットもあり、金星の末期の物と代用素材が同じで独逸も欠乏していたのですね・・・
A6M3灰色は羽布、日の丸外板は若干焼けていますので赤が強くなっています。

いろいろ・・・番外編2
色見本  日本塗料工業会 2005年C版 塗料用標準色(ポケット版)

ハ102(瑞星21型)屠龍装着減速室
衝駒取付部
程度の良い灰色が残っています。
保存状況によっては茶褐色になったものも同エンジンでも存在します。

ハ102屠龍装着排気管(上)・吸入管(下)
排気管接続部には川崎の刻印があるので接続部ともしくは排気管も三菱製ではない事が解ります。
なお吸・排気管は磁石に付きます。
BUN氏より情報(↓()内)を得て排気管の銀塗装かアルミ浸漬か判別つかなかった点をテスターの導通にて確認しアルミ浸漬と判断しました。
(アルミニッケルを省略して磁石につくクロムだけになったステンレスを使うようになるのは19年年度あたりからです。陸軍はそれより早く軟鋼のアルミ浸漬に変わるようです。)
吸気管は錆びている所以外は黒エナメル焼付塗装がしっかり残っています。(上の排気管は錆びた部分を磨いている)

他排気管塗装検証
上から銀河排気管8(黒塗装一部残留)、零戦R4(塗装痕不明、黒塗装との情報を得て後塗です)、零戦F2(塗装痕不明)

 彗星一一型
愛知3647号右
上が内側、下が外側です。外は赤茶>灰色>濃緑
パネルで在ったものを米兵がお土産で切り取り、シガレットケースにでもしていたのかもしれません?


カウリング環状受骨
カウリングは基本エンジンヘッドを支基にした金具に保持された、円形金具に合わせて固定されています。
色はエンジン関係部品と同じく基本黒で塗装されていると思われます。(今まで確認出来た物は結局上塗り黒、末期は?)
ただ下塗りの塗装パターンに違いが在るものが在り、剥げた部分・緩衝材が剥がれた部分で淡青色が覗いていたりします。(黒が剥げ落ち淡青色が多くなった物も)
下記アップ写真は32型の物で三菱機特有の黒となっています(カウリングと同色)(左側は緩衝材残留、当時の状態は点火栓2枚目の写真を参照)

追記でシリンダバレルとヘッドも黒です、下の写真では剥げていますがフィン奥には痕跡を確認しています。(これも当時写真で確認できる)




点火栓
よく零戦のプラグの色は?と聞かれるので・・・・
初期中期までは黒と思われます。
真珠湾攻撃時ニイハウ島に不時着した西開地機の写真が手元に在ります、エンジンの詳細が判る程鮮明ですが公開できないのが残念です。
西開地機と同じくサイパン捕獲時の写真でもプラグは黒と言う事が解ります。(プラグコード鎧装部分のみは銅色)
しかしあくまでも私が今まで見て来た現物情報を踏まえた写真判断ですので御了承を^^;

添付写真1枚目は零戦の物でなく参考写真ですがどちらもオリジナル状態です、右側は古い機種の物で黒塗装で中島系エンジン、左はメッキ処理されていて銀で三菱系です。
2枚目は中島栄21
3枚目は三菱金星4型

こう見るとシリンダヘッド・バレル共黒塗装状と比較して、プラグの色違(銀・黒)いが良く分かります。(栄は判り辛いですが他の場所と西開地機の写真で判別できます)
プラグとプラグコードを繋ぐ点火栓曲管(L字部品)は材質が黄銅です、写真では黒塗装が判りますが末期は無塗装もあったと思われる写真が在ります。
末期の機体と言えば零戦62型が現存していますがプラグコードの表面鎧装材質が鉄系で代用されており鎧装(メッシュ)の間隔も広がっています、通常銅色のプラグコードですが末期の機体に見られる銀色のプラグコードはこの処置故と推測できます。



三菱52乙 動翼羽布
おおざっぱに言えば普通の灰色です。

天山後部胴体(ヒロ コレクション)
後部胴体側面外板です。
左下の開口部はアクリルが付く構造となっています。
元々は灰色の機体に迷彩色の緑が上塗りされ白ふちも追加された事が確認できます。
そのさい塗り残しで機体番号末尾が在りますが、もう一つの塗り残しはと言うと・・・・・

塗り残し
零戦でも在るように機体計測用のポイントが各所に在ります。
その位置の為に塗り残しをされている事が確認できます。
中央上のポンチ痕がそのポイントで見えずらいですがポンチ痕周りに1センチの円でケガキがされています。
塗り残し位置がずれていますのでかっては文字か灯台マークに似たポイント表示がステンシルされていたと思われます。

計測用ポイント位置
零戦主翼前縁のマークです、この位置にもポンチと1センチのケガキ円の上にこのマークがステンシルされています。
零戦胴体側面等で迷彩が塗られた機体では、このポイントが塗り残されているのが当時の写真でも確認できます。

第3風防内外板
見ての通り艶消し黒ですが特徴のある紺系の青が混じる艶消し黒ですから三菱機と推測できます。
これは52甲4708号ヘッドレスト部分の外板です。(開口部、ハの字がヘッドレスト、その後ろはクルシー取り付け基部)
中島52・21型でもこの部分を確認していますが第一風防内と同じく三菱機とは違う単純な艶消し黒を確認しています。

逆に機内色で塗られたこの部分の現物は確認していません。
(しかし上斜めから撮影された複数機在る中で明るい色の機体も在り、悩ましい所ですが^^;)

この部分と風防枠内側含めて、中島と三菱の違いであるカウリング色をそれぞれ使用しているようです。
三菱と中島の色違いはカウリングとこの部分だけであり、他は基本的に規定色通りに統制されていたと私は多くの現物を見て思っています。
(その他鉄部品黒塗装は中島三菱とも同色)

追記
カウリングと風防内の三菱中島違いを上記で述べましたが、18年以前は三菱機と同色で在った可能性が出てきました。
前々から話は聞いていたのですが、書籍で発表して頂けました。
古峰文三氏に感謝申し上げます。 
歴史群像シリーズ 決定版「零式艦上戦闘機」を御参考下さい。

今後この部分の18年以前の現物を見る機会が在りましたら是非裏付けを取りたいと思います。

中島696号
風防枠内の艶消し黒、第3風防内外板の艶消し黒としっかり確認できます。
当時の三菱機は撮影すると青(紺系の青)が浮き出る物だったと推測しています。

中島 196 号
     ̄ ̄
脚庫内部です、青竹色で在る事が確認できます。
鉄部品は黒塗装です。

中島 196 号  脚カバー
     ̄ ̄
中島は脚カバー内側が青竹だとすると・・・イギリス帝国博物館の所蔵機は灰色なので?となってしまいます。
しかし詳しい方が写真を撮ると情報が見えてきます^^しかしはっきりは読めません・・・
私が今まで見てきた脚カバーステンシルは・・・

中島 ○○○○号
     ̄ ̄ ̄ ̄
    右

三菱○○○○号
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   右

となりますがこれは?です。

写真は 中島 196 号 機なのに三菱のくさかんむりが見えませんか?^^;;;
           ̄ ̄
三菱 第○○○○号と書いてあると予想します。

三菱機からの流用で在れば納得です^^

三菱4246号機の脚庫
脚庫主翼前縁残骸です

これは軽め穴を羽布で塞ぎ灰色で上塗りされていた痕跡が明確に残る残骸です。

この機体は艦載機だったのでしょうか?等々思いを巡らせてしまいます・・・

脚カバー
残る部品で複数確認したところ中島は青竹、三菱は下面色と傾向が見られました。
その他細部部品でも色違いは勿論、形状違いも確認でき小部品一つで両社の違いが判別できます。
一例でタイヤが当たる木部で中島は無垢、三菱は合板と言う具合です^^;

脚柱は黒ですがトルクリンクは三菱は灰色です、中島は今一確認できていませんが銀塗装かなと予想してしまいます。(三菱ならば現物が在るのですが写真が見つかりませんでした^^;)

追記
中島製トルクリンクを手に入れました、灰色でした。(しかし一例でしか過ぎないので銀も在ったのかも知れせん?)

マーキング
私はプラモが作れないのでBBI完成品では1点だけ手を加えています。
判りますか?^^;
答えは一番下で・・・・・

プロペラ
裏はつや消し黒と通説が在るようですが、程度の良いものを何本か見てきていますが皆茶色でした。
その中でもこのペラが一番程度の良い状態です。

飛燕 灰藍色
キー61と刻印された主輪から外したカバー裏面です。
灰藍色のものは未使用でした。

左の灰藍色のカバー表は灰藍色の上から灰色を塗っています。
今まではっきり確認できるものを6個ほど見てきていますがパターンは半々ですね。

各型弾倉パネル
主翼下面にある弾倉交換用のパネルです。
52甲からはベルト給弾方式に変更されているので、弾倉パネルは廃止され主翼下面外板の一部となっている。
このページで取り上げたのは退色程度が同じだと、中島・三菱・型式・製造時期等の違いがあれど同じ色合いの範疇にしか見えません。(21は上塗りは残ってませんが同一機体外板が他に在りますので)
そこで私は新造時ある程度色調はしっかり決められていて、その後の使用状況・保管環境・塗質によって変色していったと考えるのが妥当だと思うのですが・・・・・・どうでしょうね?

エ式機銃後部パネル
初期・中期まではマイナス皿ネジ止め構造で在ったが、後期は幅広で簡易なファスナー方式に変更されている。
中間は三菱4397号のものであるが皿ネジ方式からファスナー方式に応急改造されたものである、よって19年初めごろ部隊側での要求により応急改造が施されその後の機体に反映されたものだと推測できる。
(追記:4397と書かれた物は三菱4708号機にファスナー方式として流用されていたことが判明)
色は左の中島1493号の物しか残っていないが、先の弾倉パネルとおおむね同じ塗色に見える。

22型主翼外板 日の丸部分
ラバウルから飛び立った機体で近辺に墜落した22型といわれる左主翼上面外板です。
右側が左翼22番リブラインです。
白ふちは黒に近い濃緑色で塗りつぶされていたもので、日の丸と迷彩塗料の下には灰色が各所に見えています。







三菱3938号 左主翼下面外板
現物でみると左上辺りは緑が強いです。
主燃料タンク下のパネルです。

さてなんでしょうね?
刻印は鶴マーク?(日本アルミ)


22型主翼下面外板
これもラバウルに所属していた機体だと思われます。
戦後回収後にクリヤ塗料を塗って保存処置されたのが確認でき、クリヤ塗料がかなり黄ばんできています。
クリヤの下は程度の良い灰色です。

中島1493号主翼端
右翼後端20番リブ位置
上面日の丸は白ふちの跡が残っています。
補助翼と接する部分は三菱52型同じく下面色です。

三菱4240号主翼後縁部材
半円の穴が補助翼操作ロッドが通る穴です。
内部は青竹色外部は青竹の上に機体下面色で塗られています。
錆びているマイナスネジは木製補強材を留める木ネジです。

通称「青竹色」 変色過程
程度の良い青から緑に変色していくと、多くの残骸を分解段階で見てきて感じています。

青竹色(淡青色透明塗料)
青竹色は現在手に入るもので青竹インキが在りましたので塗ってみました、程度の良い青と退色した緑が表現できました。(塗料成分は全く違いますが・・)
最古の青竹はニセコ零主翼前縁内部で、放置されていた割には程度が非常に良いです。
下は中島52型(19年5月製造)主桁中央部結合材で、この面はボルトにて強固に密着していた面です。
青から緑に退色するよい例だと考えます。

中島1493号 主桁中央結合部
程度は見ての通りですが結合材で圧着していた影響で程度の良い青竹色が見られます。
青竹色の下にはSDCのスタンプも確認できます。
青竹色の下は主桁材を保護するためアルマイト加工(灰色)されています。

青竹色
程度の良い青竹です、右上の空間(削りカスが挟まっていたと思われます)が在った所だけが退色していて緑に変わりつつあります。

陸海軍
97戦は未使用で保管されていたもの、羽布は屠龍4065と零戦21型646号
646の羽布は塗装過程の銀が断面に見えています。

97戦外板と屠龍羽布
写真はフラッシュ有・無では色合いがかなり変わることを示してみました。
フラッシュ撮影では、復元機の風防枠・カウリングを撮影すると青が浮き出て強調される事も・・・

屠龍羽布


変色過程
屠龍 空気取入スリット部材
同一部材でも保存状況により変色過程にここまで差が出ます。

保存状態による変色 屠龍外板
一見左が良い状態の元の色に見えますがチョーキングしています、右は褐色に変色していますが塗質は良い状態です。
私の推測では・・・元の色>褐色がかる>チョーキングにより元の色が白っぽくなる状態>剥離

零戦機内色変色過程
機内色も褐色がかった後、チョーキングして剥離していきます。

XF-71
計器板をタミヤXF-71で塗って見ました。
どうでしょう?赤枠内暴露部分チョーキング後の機内色に見えませんか?
(赤枠内比較部品は着艦ハンドル巻上装置ワイヤー滑車基部、上部暴露部分がチョーキング)

中島52型4246号機 機内色
胴体と主翼との結合部で主翼外板です。
良い色の機内色と退色し褐色がかった機内色が混在しています。
胴体との結合前に機内色が塗られていることが判別できます。

着艦フック 巻上転把機尾側の滑車基部部品
暴露部分と部材で圧着されていた良い面との、塗装劣化が良くわかると思います。
上部のラインから上が暴露部分で白っぽく退色しています。

拘捉鈎巻上握把
着艦フック巻上ハンドルです。
部品としては態度が悪いですが、色は良い状態で機内色青竹色共に良い状態です。
前写真の部品が滑車基部に使用されています。

22型右翼機銃パネル
灰色の上に迷彩塗料緑を塗っています。
左側が機首側になり、合わせの赤ラインが入っています。

三菱52型 4240号 7,7薬莢排出口
マグネシウム(エレクトロン)部材とジュラ材との併用で排出口が組まれています。
腐食に弱く通常部材より一工程多く銀塗装がされています、銀色も退色すると褐色がかり見た目で金色ぽくに見えます。
他にマグネシウム材は主輪・尾脚柱に限らず脚カバー・フットバー基部・ワイヤーガイド等々多く使用されています。
しかし板材部は元々ジュラ材の部分を代用材として変更した向きが伺え、ある一定以降に変更が在ったと思われます。(脚カバー等)

三菱52型 4240号 7,7薬莢排出口 2
先ほどの部材面と組まれた隣の通常部材(左側)です。
通常のSDCH材ですので塗装は青竹>機内色仕上げです。(チョーキング状態)

外気取り入れダクト
右翼前縁開口部よりつながるダクトです。
銀塗装(柔らかい部材故腐食対策?燃料タンクと同じ素材と思われます)で塗られています、接続口は程度の良い灰色です。
銀塗装の塗膜表面が褐色に退色し始めており、一見金色に見えます。

SDCH
ジュラルミン板には識別のためのスタンプが押してあります。
元は紫色ですが暴露部分等に在ると黒に変色する例を確認しています。

零戦22型 三菱3353号 
22型水平尾翼下面外板
チョーキングし始めですが取り除くと良い色が出てきます。

零戦22型 三菱第3353号 
左水平尾翼下面2番リブライン中央付近の外板です。
チョーキングを取り払うとこのような色になります。

名航零


三菱4708 中島1493
8番9番リブ間主翼前縁外板です。
識別帯塗り幅、主脚作動表示板の開口部等違いが判ります。

三菱4397号
主翼下面エ式機銃後部点検パネル
8箇所のマイナスネジ止めだった物を現地改修?で変更しています。
これ以降の物に軽易に開閉可能なヅヅスファスナー方式に変更されたと考えます。

A6M2 「BI−151」


A6M2 「BI−151」 裏


BI-151 中島646 塗膜断面
BI-151外板 中島646羽布 

海没品の変色過程
計器板ですが海没品(左)は機内色がこの様に変色する一例です。
複数確認していますがこの傾向です。しかし青竹は変色しない。

A6M7 82729号外板
左が琵琶湖から上がったオリジナルの主翼下面外板です、通称「飴色」ぽく褐色がかっていますが良く見ると退色による褐色の下に通常の塗装が見え灰色の範疇と理解できます。
右は最初の復元時の複製外板です、左側の後塗り塗装を剥がした面の塗装が見事「飴色」ぽくオリジナル品と合致しています。
当時の方が此処まで拘ったのならば凄い事ですね。
しかし当時通常の灰色で塗っていて退色したのならばこれまた褐色がかる良い例となります。
どうでしょう?
私は当時は知りませんので復元直後に見た方、ご存知でしたら教えていただければ幸いです。
なお復製外板右側に上塗りされている塗装は何回か塗りなおした時の塗装です。

追記
公開直後見た複数の方が、褐色系では無かったと意見を頂いています。

32型 重心位置外板
ラエ飛行場から当時米兵がお土産に切り取った外板で、32型より回収と聞いています。
塗装の程度も最良で機内色、青竹色(構造材で隠れていた部分)、通称「飴色」、重心マークの黒塗装と判ります。

通称「飴色」?
通称飴色と呼ばれるものは中・後半の機体には褐色がかっていても、表面塗装の上層下層の状態から当てはまらないことが簡単に判別できますが、初期の21、32型の塗装では表面上下層まで褐色であり悩ましい所です。
そこで初期塗料の質が後半とは違い褐色に変色する度合いが高いのであれば納得がいくと思われます。?
いわゆるこれが飴色と判別された所以かもしれません?どうでしょう?
しかしこの時期の全てが飴色かと言えばニセコの32型を見れば判別つくとおり、外板・羽布ともに飴色さは見られません。(非常に程度の良い1942年の回収時から屋内保管で在った中島646号羽布も同じ)

機内色
通常よりかなり濃くなっていますので退色気味かもしれません?

通称「青竹色」
かなり薄く塗装されているので青色が薄いです。
(透明塗料の特性上厚みにより青の濃さがかなり変わります。)

三菱4240号第一隔壁防火壁
現在は5分割されていて中央は靖国に展示されています。
残念ながら左上が在りません、お持ちの方は連絡頂ければ幸いです。
エンジン面が写真左で全面青竹色だった物が風化により構造材内側だけ残して剥離した状態です、内側は機内色・青竹共によく残っていますが機内色の表面が褐色がかり変色の強い状態です、右上は機体下面色で塗られていると見間違えてしまうほどの良い灰色ですが、機内色の退色過程の悪戯故です。(チョーキング部が白くなるため)

夢にまで見た左上が「名無しさん」からのご厚意により補完されました!!、まさか御連絡頂いた上に「揃って活用して頂けるのならば差し上げます」とまで仰っていただけ感謝の念に堪えません。
名無しさま、お陰さまで夢が叶いました、ありがとうございました。

三菱4246号機 第一隔壁防火壁
4240号機と同じく、機内色が程度の良い機体下面色(灰色)に見間違える程に変色している部分と、褐色がかって通称「飴色塗装」と言ってしまう方が出るほどの部分が混在しています。
青竹色が見えている部分が第一隔壁部材との組み合わせ面です。

零戦21型防火壁
エンジン側面は青竹色のみと推測できます、操縦席側面は青竹色の上に機内色です。(他の機体現物でも同じパターンしか見ていません)
三菱の防火壁は第一隔壁と共に機体番号が刻印されていますが、中島は第一隔壁・防火壁共刻印が在りません。中島は何処に刻印されていたのか気になるところです。 
塗色は私が見るに中島・三菱共同じだと思っています。(統一されていたと考えます)

三菱4240主脚庫内部材
脚庫内部部材です。
三菱は脚庫内部が灰色で塗られていたことが判る部材です、中島では私が見てきた中で青竹しか確認できませんが軽め穴を羽布で塞いだ艦載機?等の機体は中島でも脚庫内部が灰色で塗られていたと予想しています。

エ式機銃パネル
中島は裏補強材をスポット溶接で仕上げていますが、三菱は極小のリベットで組上げています。
三菱の技術は凄いと思いますが生産性で考えればやはり中島の合理性には適わないと感じます。
緑は褐色系に退色し辛いと思われます、三菱の赤茶色は表面色がチョーキングにより落ち下地塗料が現れています。

脚庫内部軽め穴
灰色で塗装されていた痕跡があります、これは後塗りで羽布で穴を塞いだ後機体下面色で上塗りした例です。
空母使用機でしょうか?(回収地域は空母作戦用機の緊急着陸場所で在ったと聞いています)

プロペラ先端 警戒線
海中からの引き上げ品でオリジナル塗色です。
先端から5p開いて5p幅と規格どおり?しっかり塗られています。

水平尾翼取付け部 
機体側の水平尾翼をテーパーボルトで留める部材です、機首側が10ミリ機尾側が12ミリの傾斜ボルトをで結合していました。A6M7からは2ミリ径を増やしこの部材も鉄に変更されています。
バラレ等近辺から回収物です。
これらの機体は戦後初の飛行をした零戦に使用された物です。
色の変色過程が様々ですが回収時期が早い為、塗装も良い状態です。

ジャッキアップポイント部品 青竹色(緑に退色)
零戦主翼にはジャッキアップポイント(取説*前桁下面ニ装備シアル滑止メ孔)が前桁に3点開いています。
流石零戦の拘り故か?穴が主桁と平滑になるようバネ仕掛けの装置が主桁内側に付いています。
下の写真は主桁断面(非オリジナル)に部品を置いています(実際の取り付け方向は90度回し)
空気抵抗の影響力云々は別にして、此処まで拘る当時の設計者の意気込みは凄いですし私は同じ日本人として共感できます。

第一風防枠内側 ガラス押さえ板
つや消し黒で塗られています、今はなき塗装の神様(中沖氏)が私に教えてくれた「青が混ざった黒で戦前の物は一目で判る」と仰っていた事を思い出します。
(32型もしくは22型の部品と思われる)

アクリルガラス 第一風防頂点
かなりグニャグニャに変形していた物を、ヒートして修正したものです。

第一風防頂点アクリル残塗装
タッチアップされた際のはみ出た塗料です。

2式水戦上部計器板
2式水戦は防食の為に塗装工程が一工程多いです。
青竹>赤茶>銀>機内色
計器板は複製品無塗装です。

零戦32型(初期型) 羽布断面
風化の過程で塗膜各層が分かれ、非常に良い資料となっています。

22 32 52劣化・変色例


水平尾翼取り付け部
テーパーボルトを使用していました。(スリーブが抜けています)
素材は超々ジュラルミンと思います、アルマイト加工の灰色>青竹色>赤褐色>灰色と塗膜が良く判ります。
三菱の機体だと一目でわかる痕跡が在りますが判りますでしょうか^^;

中島82729号機 主翼上面外板
この外板は最も多く世に出回っていると思います。

主輪ホイール
赤褐色>銀>黒

主輪ホイール2
OD色

主輪ホイール
一部青竹>赤褐色>?

主輪紫電
茶色アルマイト?>赤褐色>銀>黒

零戦尾脚
ジュラルミン部 アルマイト>赤褐色>灰色
尾脚本体・尾輪 赤褐色>銀>灰色
真鍮部品 赤褐色>灰色
鉄部品 赤褐色>黒

疾風主輪
未使用だったものです。
分解整備していると、元は灰色だった事が判り褐色に退色後また灰色に戻る過程が推測できます。

九七重爆・白菊(23.8.4訂正)
左が九七重爆・右が白菊の外板で裏面は機内色となります。
細かい事言わなければ陸海軍共、機内色も統制されていた事が予測できます。
白菊は伊勢湾から、九七は南アルプスと思われます。

キー45機内色
退色していますが細かい事言わなければ零戦と同じような機内色で在った事が判ります。
下部計器板裏打ち補強材、後席取っ手周りでも確認していますので、前後席ともこの色で塗られていたと判断してよいと思います。



第16隔壁後部ジャッキ受ケ
現物では3機程確認しているのですが公開できる物が無いので模型で示します。
12番隔壁の「ココノセル」ステンシル部分がメインですが、尾部整備のみの簡易な整備では16番隔壁を使用します。
黄色の表記は10×10センチです。
さあ模型の作例で雑誌に載るのは何時になりますかね?^^;

当時の写真では見え辛く、軽易に確認できる当時の写真では海路輸送の為の梱包状態物が最良です。
戦う零戦P141等


第16隔壁後部ジャッキ受ケ
公開可能となりましたのでアップします。他にも複数の機体で確認しています。


第16隔壁後部ジャッキ受ケ
これが3148号機の後部胴体のようです。

第16隔壁後部ジャッキ受ケ
いま飛行を目指して進行中の3148号機

飛行を目指して進行中の3148号機
主翼燃料タンク
32型以降の右翼の物で左に電動燃料ポンプ(11型12V)右上角に給油キャップ(赤)が在ります。(給油口は写真では汚れでほぼ見えないが赤蓋付き)
給油口左、一スパン飛んだ位置の黒四角は銘板です。
材質はジュラではなく柔らかいアルミです、塗装は下地「赤茶」の上に「銀」塗装です。
余談で、滑油タンクはジュラ材ですから青竹下地の物を確認しています、しかし通常その上に銀塗装です。(中島で怪しく(青竹?)見える当時写真在り?、現物確定は調査中)

胴体燃料タンク
同じく32型以降の物
左が機尾方向V字は薬きょう放出口スペース、上部首部分の下端は機銃前方支器が通ります。
右は機首方向第一隔壁と接している部分で銀の表層が黄ばんでいます。





戯言
 私は構造に興味が在って塗装には無頓着でした、しかしながら国内外の多くの方が塗装に興味を持ち情熱的な質問も多々あるので私が知りえた資料をアップすることにいたしました。
此処に掲載されている塗装資料は60年以上経過していますので、もちろん様々な状態で変色しているでしょう。
しかし保存程度によっては厳密に拘らなければおおよその塗色は推測可能だと思われます。
また程度の悪い残骸でも塗装劣化過程を知っていれば、これもおおよその塗色が判別付くと考えるのです。
これが多くの現物資料を国内外で見てきた私の考えです。
しかしながら私は塗装について全く無知な素人です、中塗り等も存在したのか確定できない状態ですのであくまでも個人的意見として大目に見て頂ければ幸いです。(ご意見在りましたら何なりとメールください)
最後にこの資料の収集と塗装情報にご協力頂けた方々には感謝しております、今後とも収集し公開していく考えですので、現物・資料情報お持ちの方は連絡頂ければ幸いです。

追記
 飴色論争なるものが過去在ったそうですが(私のこの趣味は平成14年から)私的には否定する要素は無く当時も一部存在したと思います、当時の灰色塗料はクリヤ成分が環境によっては早い段階で褐色に変色する為故の存在と言う考えです。

私の予想する退色過程を述べると
>元の灰色(上塗り)
>上塗りが上層から褐色に変色し始める(もしかすると上塗り全層が徐々褐色に?)
>上塗りが全層褐色が強い灰色になる(これが飴色と判断された原因?)
>上塗りが上層からチョーキングの為、元の灰色より白っぽい灰色に戻る(この時点が擦ると褐色が出てくる状態)
>上塗りが全層チョーキングして更に白っぽい灰色になる
>チョーキングが更に進行し上塗りが剥離していき下塗りの赤褐色がでる
>赤褐色の表層がチョーキングして黄色くなる例がある
>全て剥がれ落ちジュラルミン地肌になる
・・・・とこんな具合です^^;

この灰色(機内色も)に特質して見られる過程が在るからこそ未だに「飴色が在った」「飴色は上塗りが劣化して中塗りが出ただけ」等々の議論になっているのでは?と予想していますが・・・どうでしょうね。

上記の退色過程を当てはめると零戦の数多く残存する現物資料のみならず、キー45・キー84主輪・キー61の機内色・当時のカラー写真に残る下面色の褐色(飴色)の疑問にも解決の糸が繋がってくると思うのです。
さて私の飴色談義はどうでしたか?^^;重たいけど何とか持って歩ける重さ、零戦だから?^^;