POF所蔵中島五二型5357号機
尾翼番号61−120について



栄三一甲型発動機

2012年12月
 栄21型と栄31型の判別は難しい所もあるが・・・・
 今回エンジン装着前にシリアルナンバーを確認できず確認できなかった事が残念。
しかし一目瞭然にて判別箇所が在る事をゼロ2メンバーFUJIIさんより教えて頂いた。
写真はその判別ポイントからの写真。

 何とプロペラ調速機まで当時のオリジナル銘板が現存

追記
この機体が飛ぶ際に尽力された大脇克司氏が「チノでの作業中、私はこのエンジンが「栄」31型、製造番号第31262号であることを確認した。」と航空ファン798月号88ページで述べられている事をゼロ2メンバーより教えて頂きました。

また別のスミソニアンの零戦では大脇氏より古い、航空ファンのミケシ氏の記事が在りました。

773月号、4月号の連載でタイトルは「スミソニアン博物館の零戦」( THE SMITHSONIAN'S ZERO )、エンジンの記述は4月号にあります。

『博物館の零戦(機体番号4043)のエンジンは、19449月に、スペアの1基とつけかえが行われている。付け替えられたエンジンは、4043の型の零戦に通常装着されていた「栄21」ではなく、ウォーター・メタノール噴射能力を持つように設計された改良型の「栄31」であった。この型は日本では信頼性がないことがわかって廃止されたものであった。この型に多少の改良を加えた栄31Aと栄31Bはあとまで使用されていた。

 4043零戦のエンジンについていたプレートは、ずっと以前になくなっていたけれども、この飛行機の記録のエンジンの部に、このエンジンがシリーズ番号No.31276「栄31」であることがはっきり記されていた。

 機体の型とエンジンの型が一致していないために、博物館では、この零戦を52型と記録すべきが、53型とすべきかについて迷ったが、結局、52型とすることにきまった。そしてこのエンジンの使用時間を45時間と推定した。』

(この記事でミケシさんは機体番号をなぜか4043と間違ってます)



組立見学会では見ることができなかったので、次の所沢での分解時にエンジンNoを撮影して再確認とHPでのアップを考えています。

 
 

 サイパンから空母コパイにて米国に運ばれる甲板上での写真、二一型との識別点が解って頂けると思う。
                        (銘板が無くても解る点です^^;)
水メタ未装備の為「栄三一型」の銘板の隣に赤ペイントで「甲」と注記されています。
写真提供、杉山氏

エンジンNo刻印写真撮影

2013年4月 分解見学会が流れてしまったので手を突っ込んで撮影しています。

やはり栄31系を示す31から始まる番号でした。

水メタ未装備のエンジンですので31甲型となります。


弾痕考察

                              61−120弾痕パッチ
2012年12月
 スティーブン氏に「パッチとクラック防止のドリル穴はPOFの作業か?当時の日本海軍側か?」と確認したところ
「当時のパッチ痕」との返答があった。
    



サイパン捕獲時との比較

 杉山氏から以前入手の写真を提供頂いていたので確認したところパッチ部が合致
    
 その後2013年5月の後部同体内検証によって新たな弾痕を確認し、61−120の修復痕跡で疑問であった部分が恐らく日本側の機体改修であることの可能性が推測でき、今後の考察と確認作業により判明すると思われる。




POF操縦席内部協力過程



2012年12月
 操縦席内の作業前・後(実際は計器名称板のみで時間切、水平儀・旋回計と羅針儀は合成

 実現はしなかったが理想は此処までしたかった写真が下側
勿論飛行可能な希少な機体故、現有計器の配管等が無い計器限定で、影響のない最小限かつ当時の姿を彷彿とさせる状態である。
POF側もアメリカのコーディネーターも是非!との事だっただけに時間切れで残念・・・
なお隣の100年展で展示中の98式射爆照準器を持って来れば10秒で装着可能・・・致し方ないが残念無念^^;

(2013年9月追記:実際照準器はPOF機の取付部の分厚いペイントで難儀、その下の水平儀部分も単純ではなかった)



私が持ち込んだオリジナル計器見せたところ、早速ジョン・ヒントン氏が該当部にあてがって喜んでくれました。



2013年4月
 上記は2012年時の事で、飛行を阻害しない状態を維持しつつ私が理想とする当時の主要計器を実際に配置する事にはまだ乗り越えなければいけない点が複数存在しました。
その後の水平儀部分の構造等で装着の為には単純な作業でない事が判明し、主要計器を装着するとなるとPOF側に正式な許可と調整をしなければいけない状態でした。
また所沢航空発祥記念館とのPOFとの契約もあり、8億の保険をかけ日本人側はごく一部の限った担当者にしか機体に触れることができない契約の為(最高でも風防の開け閉め等までで、操縦席内部は立ち入り不可)、その後POFと調整を続け2013年4月にPOFと契約に合意することができ所沢側にも了承を得て、POF・私・所沢担当者3人のサイン入りで契約書を交わしました。
この事が実現できたのも所沢側の白砂課長の多大なるご理解ご協力と、POFと調整をしてくださり契約書の基本文を提示し短期間で見事契約成立にご尽力頂いた友人のケンジさんのお蔭ですので大変感謝しております。
(下写真ではいかにも私一人で実現させたようなふてぶてしい表情をしていますが実際は上記の通りです^^;)

 



2013年6月に完了した私の理想形

 契約によりPOFメンバーが不在時でも私単独で操縦席内等機体全体の検証と作業が出来ることとなり、所沢航空発祥記念館と調整した会館前後の時間帯で作業を続けた。

所沢航空発祥記念館側の各担当者には大変感謝しております。
また作業が時間内に終わらず会館時間を少し過ぎた状態でも作業をしていたこともあり、その時のお客様には申し訳なく思っています。

上が2012年12月、下が2013年6月

作業内容は

1、照準器装着
2、旋回計・水平儀・防振ゴムマウント装着
3、計器名称板仮装着
4、実物羅針儀と複製受け台(T3焼入れ物)の交換
5、昇圧器スイッチ・銘板装着
6、各胴体内部銘板仮装着

上記の作業は一見簡単に見えるかもしれないが水平儀・旋回計の部分には無線機の台が装着してあり手前には引き出せず、メール添付によるPOF側との作業内容の確認を取りながら行った。(下はその写真の一部)

昇圧器スイッチと名銘板装着(取り付けプラスネジは仮でその後当時ピッチのマイナスネジに変更済み)

羅針儀装着

その他照準器・各操縦席内部銘板等の装着作業をしています。



外部作業



                  当時の実機には本来装着されていた主脚の主銘板。
2012年12月時点
6年程前から各種の博物館等に寄贈もしくはバーターにて提供してきたが、ようやく今年になって装着が実現。
1例目はアメリカで最近飛んだ複座零戦にも装着され初フライトを確認、61-120が飛べば2例目。
(複座零には私の活動の最大の功労者でもある、名板版下複製における第一人者のAOTAKE氏が寄贈)

Legend Flyersにて復元中の32型にも多くの名板と共に渡してあり、現在各所に装着され始めている。

河口湖飛行館三菱名航資料室にもだいぶ前に提供済みなので装着して頂ければ幸いだが・・・

(この名板を作成する前に名航とKYBに確認し、商用目的でなければOKと返答を受け制作。完成後早速KYB資料館に寄贈の申し出をしたところ「当館は例外なく寄贈は受けない方針」との返答でした。方針では全く致し方ないことですが私の思い的には残念でした。名航資料室は元館長の岡野氏が快諾して頂け寄贈を受けてくれました、勿論可能であれば是非装着してくださいとお願いはしていますので、大変かもしれないが将来的に装着してほしい事です。主脚名板は簡単に着くのですが・・・)

左複製・右オリジナル


61−120尾脚銘板仮装着(実装着はPOFに帰った後)



主翼後縁部(補助翼と接する所)木材使用箇所

 零戦は資材不足で木材が使用されていたとよく通説で言われるが、填材等の限定使用であり主要部には使用されていない。
(よくある通説ですがジャングル等に放置された機体で、超々ジュラルミンの特性上バームクーヘン状になってしまった腐食で、なおかつ汚れで茶系に変色した主翼主桁・着艦フック等を見て間違えるようで「零戦は木製だった!」と通説となる様です^^;)

他には補助翼 前・後縁内部の填材等として使用されている、アメリカ機でもP-51・T-33等の床板が木材使用であった。

今回61-120を検証する機会を得て真っ先に確認した所で、よくも70年もと飛行に耐えていると私としてはとても喜んだ点でもある。(勿論飛行復元時に交換されていれば違うが、私的には未交換であるとマイナスネジの配置で推測した)